3/04/2015

アリゾナ ホピメサ

アリゾナの首都フェニックスから北部へ行くとアリゾナ特有のネイティブアメリカンであるインディアンの町に早変わり。アリゾナに旅行に行くときに訪れてみたい、アリゾナに住んでいる日本人でさえも知らないインディアンタウン。

アリゾナ州のインディアン、ホピ族の小さな居留地はナバホ族の居留地に囲まれています。しかし、所有する土地の大きさだけがこの2つの種族を区別する手立てではありません。アリゾナ州に住んでいるナバホ族の祖先は15世紀にカナダから移り住んできましたが、この地域では比較的新しい移住者でした。

一方でホピ族の祖先は先史時代以降フォーコーナーズという土地に住み続けてきました。ホピ族は12世紀にオールドオライビ村を造りましたが、その当時はボストン、セントオーガスティン、そしてフロリダのような新興の入植地でさえもヨーロッパの開拓者達の目にも留まっていない時期でした。

アリゾナのホピ族の居留地にはスーパーもファーストフード店もホテルもありません。ワルピという村では電気さえ通っていません。そしてプエブロの村や3つのメサは絵になる美しい場所ですが、自然や考古学的な見所はほとんどありません。

それならなぜここに来るのでしょう。それは古代文化の生きた伝統を垣間見ることができるからです。観光産業はホピ族にとって良くもあり悪くもあります。経済的には必要なのと同時に、時には悩みの種となります。

村内を歩き回ったりお店を覗いたりするには半日から1日もあれば十分です。居留地内にあるホテルは夕方以降になるとあまり賑やかではありません。穏やかな晩を過ごしたいのならお勧めですが、そうでないならホピメサは日中に訪れるのが良いでしょう。

ホピメサ ホテル

宿泊先の選択肢が大変制限されています。これはとても控えめな言い方で、実はホピメサ内でモーテルは1つしかないのです。もし居留地内で宿泊しない場合、70マイル程先のウィンスローに泊まることをお勧めします。ちなみに、ホピ居留地内での飲酒は禁じられています。

ホピメサ 観光

ホピ族の村の大部分は3つのメサに分かれており、それぞれが約10マイル程離れています。そして大きなブラックメサからその北部まで、手指のように広がっています。モネコピの町はサードメサの40マイル西にあり、行政の中心地であるキアムスキャニオンはファーストメサから15マイル東にありますが、観光客にとっては退屈な場所でしょう。

これらの3つのメサは場所的には近いのですが、それぞれ異なった歴史と管理機関を持ちます。サードメサの住人がファーストメサの情報に詳しいとは限らないのです。

ツアーガイドとのみ行けるワルピを除けば全ての村へ行けますが、古い家々や小さな店先に「歴史的建造物」と書かれた青銅の飾り板があるわけではありませんし、町の名前の書かれたサインもありません。

迷子になることはないのでご心配なく。各メサは道路が一つしかなく、家の集落が村だとすぐ分かります。町の中の狭い道でなく、礼儀正しく町の外に駐車しましょう。

まず最初にセカンドメサにあるホピ文化センターに立ち寄ることをお勧めします。ここではホピ族の伝統が学べますし、他のメサの行事についての案内が張り出されていたりするので、それを閲覧することができます。

その後はファーストメサにあるワルピに行き、毎日行われているツアーのひとつに参加し、最後にサードメサのオールドオライビを散策すると良いでしょう。もし昼食時にホピ文化センターに到着する場合、ホピ文化を知る第一歩として、ワルピツアーで1日を始めるという手もあります。

大変高価ですが、最も良い選択肢としては到着前に個人のガイドを雇うことです。ホピ族の居留地はナバホ族の居留地と違って、自力で見学するとあまり楽しめないところです。

ガイドなしではメサのことをよく理解しないまま去ることになるかもしれません。そしてまた、観光客は本来立ち入り禁止の興味深い考古学的見所も見逃すことになるでしょう。

ホピ族はその凝った宗教的儀式の踊りで知られますが、もし見ることが出来なくてもがっかりしないで下さい。観光客による無礼な行動が過去にあったため、あの有名な蛇踊りは完全に部外者には見せなくなりました。そしてカチーナダンスを見ることも制限されています。

現在ではセカンドメサとサードメサのカチーナダンスのみ時折観光客も見ることが出来るようです。カチーナダンスはとても凝った色彩豊かな宗教的儀式で、マスクや衣装を身に着けた踊り手によりカチーナの精霊を見ることができます。

ホピ族は12月から7月の間の大抵は週末にこのカチーナダンスを行いますが、地元の人々でさえも具体的な日程は1~2日前くらいまで分からないのです。もしどうしてもこの踊りを見たい時はカチーナダンスが行われる季節の週末に訪れ、スケジュールを確認し、立会いを許可してもらえるかを聞きましょう。

ファースト・メサ

アリゾナ州ファーストメサのふもとにはポラッカという町があり、ここは1800年代後半にワルピから分かれてできた町です。ワルピはファーストメサで最も興味深い町で、サンドストーンでできた古い家々や魅力的な景観を楽しむことができます。

早くも紀元900年にファーストメサの横に作られたワルピの町は、1680年に起きたスペイン人に対抗するプエブロの反乱後に防御のためとして丘の上に移りました。

ワルピへと続くくねくねとした急な坂道は同じく1680年の反乱後に作られたシツォモビやハノ・テワを通過します。シツォモビはワルピの人々によって作られ、ハノ・テワは2代続いたホピ族以外のプエブロ族により作られました。

セカンド・メサ

ホピ文化センター内の博物館はセカンド・メサの見所となっています。ここはハイウェイ264の北側、ハイウェイ87との分岐合流点から5マイル西に行ったところにあります。

この博物館は月曜日から金曜日までの朝8時から夕方5時まで開館しており、入場料は3ドルです。メサ内で最も古い村であるシュンゴパビはハイウェイ264の南に位置し、ホピ文化センター西側にあります。

シパウラビ(スパウロビ)とミションナビ(ムスンヌビ)は1680年のプエブロの反乱直後に創設され、文化センターすぐ東のハイウェイ264を北上したところににあります。自然が作った遺跡であるコーンロック聖堂はミションナビにあり、セカンドメサのはずれからすぐ下方に見えます。

サード・メサ

1100年前後に創設されたオールドオライビは継続的に居住されている町としては全米で最も古いと言われています。スパニッシュ・ミッションの廃墟や近代風の家と交わる古代の家々を見ることができます。

サードメサにある他の全ての町はオールドオライビから派生しており、それらにはホテビラ、バカビ、キコツモビなどの町があります。ホテビラは1906年に起きた一族の分裂の後に形成されまし
た。

バカビは1907年にホテビラから分派したもので、サードメサのふもとにあるキコツモビは主要道路のすぐ近くを好んだ村人達により作られ、ここはホピ族の部族政府の本拠地となっています。
40マイル北西にあるモエンコピはオライビの衛星都市であり、ここもサードメサの一部となっています。

ホピメサ 行き方

アリゾナのハイウェイ264はツバシティーからアリゾナ・ニューメキシコの境界にまたがり、ホピ居留地と一般の地とを繋ぎます。ハイウェイ191はその最東の路線です。

ハイウェイ77(ホルブルックのすぐ東)、ハイウェイ87(ウィンスローにあります)、ハイウェイ99、そしてインディアンルート15(ハイウェイ99とインディアンルート15はレウップという町でルート2に繋がります。)は、ハイウェイ264とI-40を繋ぐ南側の道路です。

もしアリゾナ州フラッグスタッフから来る場合(もしくはフラッグスタッフへ行く場合も)、インディアンルート15からインディアンルート2の間はとても景観の良い近道で、セカンドメサとサードメサの間にあるホピ族の居留地の中心部に繋がります。

ハイウェイ264はホピ族の居留地と外部を繋ぐだけでなく、東のキアムスキャニオンから西のモエンコピまでと居留地全体を貫通しています。3つのホピメサへと通じるその他全ての小さな名のない道路はハイウェイ264から分岐しています。

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